1er cru

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Les Deux Cigales

 

 

 

 

 2015年7月某日

その日もいつも通り仕事が終わり、家に帰る途中フッと目に入ったものを凝らして見つめると車道に小さな蝉の幼虫が2匹歩いていました。

あっ蝉・・・・。

実際に蝉の幼虫を見るのは小学生の頃以来だろか?

当時、朝早く起きて実家の近くの蝉の羽化がよく見られるポイントに頻繁に行っていました。

それはそれはとても美しく、神々しいほどの神秘と繊細さを感じる一方で少しでも触ろうものなら一瞬で命を失ってしまいそうな切なさを

小学生なりに感じていました。

久しぶりやな~と。

じ~んとする感情と一瞬で当時の映像がよみがえったと同時に車の往来が無いことを確認しながら蝉の幼虫に近づき2匹を手にとり

洋服に引っ付けました。

このまま車にひかれて蝉になる前に死んでしまうのも運命、運よく車をかわして木や壁にたどり着き無事に羽化するも運命だが

無事に羽化しても飛び立つのは朝になってから。

それまでに動物に捕食されてその動物が生きながらえる糧になるも運命。

それならば家で羽化させて飛び立たせるも運命。

私がこの蝉の幼虫に関わって良いのであれば、できれば一番安全な選択肢を選びたいと思い

家で羽化させるという人的介入を選びました、と・・・なんだかんだと良心ぶってはいるものの、はっきり言うと久しぶりに羽化を見たいな~と言う都合の良いエゴなんだろうな。

 

家に着くとすぐに壁につかまらせてから、さっとシャワーを浴びてビールを飲みながらクダラナイ番組を見る。

最近はテレビも本も見る時間と体力が全くない。

と言うよりかは見たいと思える情景や情報が無いと言った方が良いのかな? 本当は沢山あるのだろうけど自分に引っかかってないだけだろうな。

いろんな真実を知りたいけど、作為のある情報が多すぎて真意が見えてこないのは自分が見えていない証拠なのかも。

見えたと思い、それを信じてまっすぐに進むも結局は何かに乗せられていることも多い。

広い世の中そんな他人ばっかりだ。

いつからこんな世の中になったのだろう?と嘆く人も多いと思うけど、しかしきっとそれらは人が誕生してから今まで全世界共通なんだと思う。

そんな重要ではないことを真剣に考える事自体でさらに自分を追い詰める時がよくある。

昔はそれが非常に苦痛だった。

これが順応できてないと言うんだろうな、と。

「ぼてっ」

という音がした瞬間、蝉の幼虫の存在を思い出した。

あ・・・落ちた

しっかり上まで行き過ぎて天井にまで行った元気な1匹と、あまり動かず迷いながら低い位置で、もじもじしているちょっと頼りない感じの1匹。

そのちょっと頼りない感じに見える1匹が落ちてしまいました。

 大丈夫かな?羽化する前の幼虫はちょっとした刺激で無事に羽化できないって聞いたことを思いだした。

もう一度壁に付けてあげるとそこから全く登らなくなり、それを見ていた私はさらに自分の非を追及した。

心配と罪悪感が交差するなか、ひと時も目を離さないように観察していると天井にまで上った1匹が背中を一生懸命に割り出した。

小一時間もしない間にみるみると脱皮していく。

後を追うようにいまいち元気がないように思えた1匹も脱皮し始めた。

今回、家で羽化させようと決心したのは羽化したてのエメラルドグリーンの羽がとても美しく、このけがれの無い透明感を見たかったからだ。

何度見ても浄化されるかのように引き込まれる。

朝を迎えて、羽の癒着もなくきれいな蝉へとなった2匹は無事に飛び立っていきました。

迷うことなく、広く晴れ渡った夏の空へ本能のままに。

 

 

 

 

 

 

 

 

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